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09/JUL/2001 UP


   街を歩いて、驚いた!   



《日本占領時期死難人民記念碑》

いつものように『サイプレス』の先生達に連れられて、よその足マッサージ店の
調査見学(笑)に行った帰りだった。 
私達はたわいないお喋りをしながら、サンテック・シティー・モールから
MRTシティー・ホール駅方面に向かって歩いていた。
途中に、すうっと空に向かって高く高く伸びるモニュメントがあって、私は、
いつものように、気軽に聞いた。
「これ、なーに?」
先生はちょっと困ったような顔をして、それから
「昔、戦争で大勢の人が死んだんだ。」と言った。
モニュメントにはプレートがついていた。
『日本占領時期死難人民記念碑』
日本が“大東亜戦争”と呼んだ戦争で、日本軍に虐殺された人達が何万人もいた。
私はその事実の重さに固まってしまい、どうしていいかわからず、
「ごめんなさい」と言った。 
先生は言った。
「昔のことだ。君が謝る必要はないよ、過去の出来事なんだから」

戦争から50年以上が経った。私にとっては、歴史の教科書の中のことだ。
でも、私の父母の年齢の人なら、戦争は実際に自分自身の人生に起こったことで、
決して歴史上の出来事ではない。
私が接したシンガポーリアン達の親類縁者のなかにも犠牲者はいるだろう。
今現在も辛い思い出を心の中にしまっている人達もいるだろう。

『サイプレス』が入っていたチャイナタウン・ポイントの近くにも、
日本軍が占領時代ここで虐殺を行ったことを記した碑がある。
ハイ・スクールの生徒達は、社会科で歴史の勉強をする時、皆で見に来るそうだ。

日本軍による侵略は、『シンガポール共和国』の歩んで来た途、政策に、非常に
大きく影響していると思う。 
日経新聞に連載された李光耀(リー・クウァン・ユー)氏の『私の履歴書』を読むと、
「シンガポール共和国の屋台骨を築いた、この元首相が、
彼の人生の1番多感な時期に自ら体験し目撃した日本軍占領下の祖国の実情、
その鮮烈な記憶が、彼が政治家として“この国をどう成長させてゆくべきか”を
考える時の土台となっていた。」ということが良くわかる。

先生は、こうも言った。
「僕達の世代は、前(さき)を見なくちゃいけない。」

シンガポールに来ると、人々の素直な笑顔とフレンドリーさに驚く。



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